私たちは桜と錦帯橋でつながっている

藤井 淳史(岩国市  65 歳)

まぶしい陽光の下、「ザアザア…」と涼やかに流れる川をまたぐ五連の木橋の反り越しに日傘の先端が軽やかに揺れながら、ずんずんと伸びてくる。
やがて白い傘を手にした和服姿の女性が姿を現した。目が合うと、五月の薔薇のような微笑みをかえしてくれた。
胸がとくんと鳴った。太鼓橋が連なる、この橋を人生の起伏にたとえる人もいる。登り降りを繰り返しながらすれ違うのもまた人間模様である。

岩国市出身の作家・宇野千代さんは「桜も日本一、錦帯橋も日本一、こんな日本一の故郷(ふるさと)を持っているような幸せ者が、この日本にまた二人とあるだろうかと思って、私はとても故郷に感謝しているのである」(海竜社『私の幸福論』)と言葉を遺した。
故郷に住んでいれば、あるのが当たり前の桜と錦帯橋の景観は若き頃に岩国を飛び出た千代さんにとって恋焦がれる「故郷」として心に刻まれた。だが、心ならずも出奔(しゅっぽん)してしまったという負い目が千代さんを岩国から遠ざけた。

転機となったのは昭和五十九年(一九八四)、国際ソロプチミスト岩国が主催した第二回文化講演会に講師として招かれたこと。その演題は「生きて行く私」。
ドラマや舞台の原作ともなった千代さんの名作エッセイの題名である。千代さんは八十六歳になっていた。