人生は錦帯橋のように

小山 桜子(東京都  30 歳)

二〇二二年八月上旬。盛夏の昼の光を存分に吸ってまばゆい錦帯橋に、私はもったいないような心持ちで右足を掛けた。
二十九歳も残り三か月。二十代の最後に思いがけずひとつの夢が叶うとは。

きっかけは前日の夕飯時、東京から広島の祖母の家に到着した私の些細な一言だった。
「錦帯橋、一生に一度でいいから行ってみたいんですよね」

敬語だったのは、祖母の「彼氏」の藤井さんに向けた言葉だったためだ。祖父は十余年前に他界しており、現在は藤井さんが八十五歳の祖母の生活を手伝う形で同居している。
祖父の娘である私の母は最初こそ嫌悪を示したが、その付き合いもすでに九年目ともなれば黙認している。

私はと言えば、むしろ藤井さんとは気が合った。なぜなら祖母を含め三人とも大の歴史好きなのだ。
古事記の黄泉比良坂(よもつひらさか)に始まり今まで二人が旅した史跡の話、邪馬台国は大和と九州説どちらを取るかなど私達は飽かず語り合った。その中で私がぽろりとこぼしたのが、錦帯橋の話だったのである。
「じゃあ明日、車でいくか?」

藤井さんの一言は、天声だった。私はその夜、興奮のあまり寝付けなかった。
広島市内から車で約一時間半。藤井さんの運転の心地よさに私は熟睡してしまい、目覚めた時にはすでに岩国だった。