五橋とともに 70 余年

波羅 一彦(岩国市  77 歳)

私と錦帯橋の出会いは4歳頃の記憶から始まる。
当時の錦帯橋は、戦中戦後の混乱で手入れが行き届いていなかったのだろう、橋のあちらこちらに小さな穴が開いていて、その穴から下を覗いたのが一番古い記憶である。
下に石ころが転がっていたので、多分桁橋の1橋だったのだろう。当時、私は曽祖父に連れられて錦帯橋を度々訪れていたそうなので、その時の記憶と思われる。

 私の曽祖父は、昭和4年(1929)に錦帯橋の4橋、5橋の架け替え工事を担当した大工の棟梁(とうりょう)で、その時の写真をよく祖母から見せてもらっていた。
その写真には、4橋に丸太で足場を組みその足場から板で坂を作った所に作業員と児童が写っていて真ん中の右寄りに黒いマントを着た曽祖父が立っている。これと同じ写真が、岩国城3階に展示されている。

私は、観光ガイドをしているので観光客の皆さんをご案内した時、「錦帯橋は木の橋ですから傷んだり腐ったりしますので、1673年の創建以来100回以上の修理や架け替えを行なってきており、あの写真は昭和4年(1929)の4、5橋架け替えの時のもので真ん中右寄りに黒いマントを着て立っているのは大工の棟梁で私の曽祖父です。」と説明すると、100%の人が歓声をあげてくれる。

祖母から聞いた話しであるが、我が家の先祖は吉川家お抱えの大工だったそうで、多分作事場に出入りしていたのであろう。高祖父も大工の棟梁で明治24年に錦帯橋の修理を担当した記録が残っている。その記録には國道錦帯橋とあり、当時錦帯橋は国道だったことが窺(うかが)える。